当初はNHKと民放6局のアンテナが1本化されるはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で参加しなかった。しかし、実際はテレビ業界の覇権を競う産経新聞―フジテレビ・前田久吉と読売新聞中興の祖―日本テレビ創設者・正力松太郎との対立であったと言われている。日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けたが、他局に比べカバーエリアが劣る問題が発生した。そこで、テレビ界のパイオニアを自負する日本テレビは自社が所有する新宿の敷地に東京タワーの高さの2倍もある「正力タワー」の建設計画を発表した。しかし、アメリカが「こんなにも高いタワーを日本に建てると自国民の不安を煽る」として圧力を掛けて来た。それを抜きにしても、建設には結局莫大な費用が掛かる事が分かり、頓挫した。そして、正力没後の翌1970年(昭和45年)になって、麹町の本社から当タワーにメインアンテナを移した。
最終的に全局が揃ったのは、NHKが教育テレビ送信所を移した1980年(昭和55年)である。
2011年7月24日までに地上アナログテレビ放送は終了するが、それに絡み、現在ではエリアの確保やこのタワーの陳腐化に伴い、新東京タワー建設の構想が立てられており、具体的な動きが始まっている(後述)。